町議会視察研修

2月19日~21日の日程で、議員15名、議会事務局、石川町長、17名で被災地、宮城県石巻市・千葉県香取市へ視察研修を実施しました。人口16万、明治の時代から漁業の町として栄え石巻工業港の開港に伴い工業都市としても発展を遂げてきた石巻市。
19日午後到着した市役所は、震災後業者から譲渡された元デパート、一階は店舗として運営され上階に案内されたフロアーは市役所そのもの、各課における職員のあわただしさは2年たった今も震災処理に追われている感じを受けた。

研修が行われた部屋の机には、個別に資料とお菓子、中央にはビデオのセッティングが、市職員の私たち一行への配慮が感じられた。
平成23年3月11日14時46分、東北地方太平洋沖地震発生。国内観測史上最大となるマグニチュード9.0震度6強の激しい揺れ。

この地震によって津波の高さ鮎川8.6m石巻市雄勝では15~20mの津波来襲、雄勝総合支所3階まで浸水など町内壊滅。市内の13.2%浸水、中心市街地壊滅状態となる。女川町でも銀行や商店街でにぎわっていた平野部は2波3波の津波来襲で壊滅した。現地が一望できる山からの眺めの一帯はまるで空襲にあった焼け野原のようだった。

死者3145名行方不明447名、建物全壊22357棟、半壊11021棟。などビデオで説明を受けた。これからの課題は、住まいの確保。雇用の確保、主に漁業、水産関係で50%までは回復した。人口の流出は11000人。移転先が見つからず企業の流出の問題。地盤沈下120㎝。福島原発の影響で物が売れない状況が続いている。

来年度3800億の復興予算が計上されており震災前以上に美しい石巻の復興計画が進められている。震災直後から奮闘しているNPO法人スマイルシード理事長の黄本富士子さんは、公的機関も壊滅状態となり全く働かなかった。

避難者は一日おにぎり一個かパン一個で1週間過ごした。県外からのボランティアの応援で支援活動が始まるなか、NPO法人を立ち上げボランティアの受け入れ拠点の確保、そこから本格的な復興に向かって活動を展開した。

現在も子供たちが外で遊ぶことができず、いじめやDVが激しく、住民たちの本来の心の復興がない限り復興とは言えない。大人たちも仕事がなく行き場がない、等々バスで移動しながら説明を聞き、たしかに町には人影がなく寂しさが見えた。

黄本理事長曰く震災時、地元は役に立たない、常に他県からの受け入れをしておくことが重要だと言う。また子供たちには危険な事を体験させることも必要と強調した。
今後予想される東南海地震等に備えて災害時に対応できる、支援、復旧の専門的な知識や技術者などの組織の確立,NPOなどの連携が不可欠だ。
今国会で、農地法の施行規則を改正。被災者の高台移転が可能になる。石巻の一日も早い復興を祈らずにはいられない。

21日、千葉県香取市へ訪問。
千葉県の北東部に位置し東京から70キロ、成田空港から15キロ圏に位置している。人口83000人余りの町である。

午前10.30頃香取市役所へ到着、立派な庁舎の7階では議会の根本議長、竹本建設部参事が応対してくれた。根本議長は香取市には多くの国宝がありその被害も大きかったと説明。竹本参事はパワーポイントで説明。地震発生後停電や水道の断水、河川護岸の崩壊、住宅の倒壊や傾斜、沈下、特に液状化によ被害が大きく約3.500haと言う広大なエリアで液状化現象が発生。

建物被害、約6000棟、全壊224棟、断水世帯数は19768世帯、断水解消まで37日間もかかった。公共施設被害は200億に上ると言う。液状化被害の現地視察では、庁舎の周りの地盤沈下50㎝、住宅の傾きが多く見られ、道路よりも重い住宅が沈む現象となっている。

復旧は進められているものの制度的な壁が立ちはだかり「市街地液状化対策事業(復興交付金)の事業要件は事業計画区域の面積3000㎡以上かつ区域内の家屋が10戸以上、区域内の宅地所有者の3分の2以上の同意、道路等の公共施設と宅地の一体的な液状化対策と認められるもの。」等、しかも道路整備を進めるには宅地所有者が個人負担で同意を得なければ出来ないことになっている。

水道管が応急措置で路面に設置されたままになっているのもその為だという。住むことができなくなった住宅を建て替えるとしても現行制度で最大限、国の支援が受けられても350万程度。とても建て替え費用には届かないのが現状だ、新築間もない住宅が傾いている家屋も少なくない。国の支援が拡充されることを願うしかない。藍住町は最も液状化の被害が予想されている。

今後、分譲地などは液状化の影響を受けない基礎工事を施した基準を設けるべきだ。両市、被災地を訪問して、家族を失い、家を失い、仕事を失い、全てをなくして、それでも再建に向かって力強く立ち上がる被災者たちの苦悩を図り知ることはできない。しかし現地に足を運ぶことによって万分の一でも共有できると感じました、また自然災害は決して人ごとではない。そして出来る限り公的支援の拡充が進むこと、東北の復興なくして日本の未来はない、そんな思いで帰ってきました。一日も早い福幸を祈ります。

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