全国・議会議長・副議長研修5.28.29

28日午後からの研修・東京大学大学院法学部研究科教授、金井利之氏の基調講演

「町村議会に期待する」の演題で講演。
改革の時代、良くなったという話はあまり聞かない
・平成の大合併による吸収・消滅・自民党は首長の力を弱めるために「知事いじめ」をやった、しかし結果的には町村がいじめられた、周辺部の声が出せなくなる大幅に見捨てるという状況になった。

(1)改革の時代
第1次分権改革(2000年)など必要な改革もあったが、改革の進行は暴走をはじめ徐々に制度・組織崩壊を来しつつある、しかも、自己破壊・崩壊の渦中にあることすら自覚しない軽薄な為政者の増大、一部が破壊されると、いまだ残されているところが「既得権の牙城」のように見え更なる破壊を加速させるという愚行。小泉政権の「ぶっ壊す」から始まる制度・組織崩壊の継続は多面的に展開される改革の時代へと進む。

(2)(自治制度改革の進行)
「平成の町村大合併」周辺部町村の再建・再生ではなく、吸収・消滅による「見えぬか」周辺部町村では「声」を失うことによって、周辺部衰退を加速。周辺町村に対する「見守り」ではなく「見放し」「見捨て」の結果を招いている。
道州制議論・道州制が実現されれば、町村合併と平行なことが生じる。周辺部県の「見えぬ化」によって衰退は加速する。

集中改革プラン・・自治体職員マンパワーこそが行政サービスの母体である、人件費削減により事業費確保のはずが結果的に市町村の基礎体力が低下し、行政サービスも形骸化していく。

改憲議論 憲法改正手続き(96条)の緩和により憲法改正を容易にすることについて、自由・民主主義に基づき選出されたことに正統性を置くべき国民代表でもある政治家が、自由を縮減しようとする自虐行為である。
憲法の地方自治制度保障条項も空洞化してしまう。

2地域包括ケアの担い手
(1)行政型地域包括ケアの限界
少子高齢化・極小世帯化・家庭崩壊・地域崩壊・雇用崩壊・企業崩壊・学級崩壊などは行政サービスの制度化を要請している。

制度の整備は、民間団体にサービス提供が委ねられたとしても、縦割化、官僚化になり、個々人を全体的・包括的に切れ目なく支援することは行政型では困難であり総合的相談に応じることはできない。
行政型で仮にあるとすれば、ケア供給事業者・専門家の業界利益追求のみである。しかし業界利益追求は、ときには受給者を犠牲にすることもある。

震災・孤独死・リホォーム詐欺などのリスクの広報・啓発で対処できるのか、住民一人ひとりの現実生活での切実な課題に誰が向き合うのか、地域の世話役を引き受けるだけのメリットが存在しない正統性の欠如。地域自治組織や「絆」の再建が叫ばれるが精神的称場だけでは不可能だ。

地域包括ケアの担い手としての議員像
議員は個人で競争的に活動すべきだ(議会としての活動は二義的)民主的正統性、公選職であるため地域住民の総合相談の担い手たるべきである。制度に問題があれば、その制度を変えることを提起、圧力をかける余地がある。

政治家は制度に詳しくなる必要はない、制度が分からなければ分かるように変えさせればよいのである。
議会基本条例が各市町村で制定されるようになった、条例では必ず、日曜会議・夜間会議など傍聴に何人来てくれるかなど、それによって住民が満足しているかといえばそうではない。

議会基本条例など住民にとってはどうでもいいことなのである。
そんなことより失業や年金、病気、介護など切実な問題をかかえている、これを何とかしてもらいたい、これが現実である。議会を開いているから「見に来い」では余りにも住民の思いとかけ離れている。議会基本条例などは必要ない。議員は住民の営業マンとして現場に飛び込んで住民一人一人からしっかり話を聞くことだ。
町村議会とは・地域包括ケア担当者会議である。

統治組織の基盤
1、地域の「見守り」と「看取り」
合併旧町村部は、議員のマンパワーを失い、地域情報の収集力が低下してしまった、合併自治体では、周辺部の疲弊という状況自体に、気づいて声を上げる力が低下している。しかし、町村長・役場というように完全に消滅したものに比して、なお議員は存在して、そうした周辺地域をカバーしうる。

町村議員は、常に合併された周辺部の情勢を、詳細に検知する必要がある、壊してしまったものは取り返しがつかない。

歴史の教訓
道州制論や大都市制度論・再町村合併論など、安易な「受け皿」議論への教訓。平成の市町村大合併は何だったのか、の検証を市町村議員としてする必要がある。なぜ町村議員は、後援会組織などのネットワークに組み込まれながら、こうした自民党国会議員の意向を変えることが出来なかったのか。平成の大合併の結果として、旧町村はどうなったのか?
道州制において市町村合併の二の舞をより大きな規模で繰り返すことが予見される。

拝聴の感想言われてみれば確かにその通り、現実的で地に足のついた発想で物事を判断しなければ全く違った方向へ進むかもしれない、住民のために何ができるのか、何が必要なのか長期的な展望でしっかりと住民の声に耳を傾ける努力をすることが自らの使命だと自覚した。


加来耕三

29日午前の研修
歴史家・作家・・加来耕三氏の講演。
大変面白い講演でした歴史に興味がわいてきました。

未来は歴史のなかにある
歴史の世界には3つの見方があるといえよう。もっとも多いのは、歴史は夢でありロマンだ、というもの。しかし、こうした姿勢ではきびしい現実に対処することはできないだろう。2つめは歴史物のテレビ番組を見るときなどの姿勢で、見た、わかった、それでおしまい、というもの。たとえば、「その時歴史が動いた」を見て、それでおしまい。

 NHKの大河ドラマ(歴史もの)などは99%は嘘の作り話それを疑いもせず見ている。
その内容を考えようとしない姿勢である。わたしは、長時間の民放テレビ番組で歴史物の総監修にあたったことがあるが、プロデューサーは開口一番「小学4年生でも理解できるよう配慮してほしい」と注文された。4年生の番組を2つ見ても5年生になれるわけではない。雑学は雑学であり、教養にはならない。例えば、経営は水に浮かぶ船に例えるることができようが、安全性が高まれば高まるほど、自分が水の上にいるのか陸の上にいるのか、わからなくなる。

しかし、どうあっても船が沈まないという保証はない。歴史物を見て、わかった、それでおしまいとすることなく、生きるために自ら考えを深めてほしいと思う。

 3つめは歴史の世界に目を向けるということ。歴史ほど面白い世界はない。わたしたちは未来を予告することはできないが、過去を丹念に調べて現代と比較すれば未来を読むことができる。それほどむつかしいことではないのだ。これから7、8年先、日本はどうなるだろう。

それを知るにはアメリカの現代史を読めばよい。すでに日本の姿は描かれているのだ。アメリカでは教育制度が破綻し群衆が群れている。世界中でアメリカに追従している国は日本だけではあるまいか。今日のアメリカは明日の日本だ。現実をみるべきだ。10年、20年と遅れても、日本は百パーセントアメリカ化する。

 日本の国家が100年もったとして、日本の現代史をみれば、行き着く先はみえてくる。日本では今日生まれた赤ちゃんも400万円の債務を背負って生まれてくる。与えられた最後の選挙権ですら50パーセントを割って久しい国だ。

亡国の水域に入ったといえよう。イギリスは最後の最後でサッチャーが現れ、考えられないような改革を行った。しかし日本がそこまでいけるのかどうかは、定かでない。歴史は前例という強みをもっている。しかし、現象にばかりとらわれれば、ものがみえなくなる。

歴史を活用するための3つの視点  

 まず、歴史を活用するには歴史そのものを疑ってかかる訓練が必要である。歴史はすでに完結している。歴史に題材をとった作品に感動することは結構なことだが、このときこそチャンスである。一度たちどまって、これは本当にあった話なのかどうか、ということを考えてほしい。

その場合のキーワードは左右のバランスに崩れはないか、一見、飛躍してみえることに裏付けがあるかどうか、である。

 そのうえで、奇跡や偶然を心から排除して考えてほしいということである。当たり前のことに立ち戻るべきということである。歴史学では偶然ということを認めない。人が自動車にはねられそうになったことは偶然ではない。

なぜ、歩いていたのか、なぜはねられそうになったのか、理由があるはずだ。常に小さな動きに気を配らなければならない。昨日と今日で変わった点があるならば、なぜ変わったのか、細部に執着して観察しなければならない。立ち止まって考えることをやめた日本人は、世界から物笑いの種になっていることを意識しなければならない。

 最後に、数字を重視したものの考え方を設定すべきだ。数字が嘘をついた歴史は存在しない。しかし、人間が数字に嘘を言わせた歴史はいくらでもある。人間が数字に期待値を乗せ、こうあってほしい、こうあるべきだ、こうでなくてはならない、と数字を膨らませてゆき、ついに客観的な判断ができなくなり、破れた戦いがいかに多いかについて、改めて考えるべきである。

 以上の歴史を疑ってかかること、偶然を排除すること、数字という合理的なものにもとづいて考えること、これら3つのことができれば、歴史学における原理原則を手に入れることはきわめて容易といえる。

 変革の時代では、入り口では変革は小さくとも中ほどでは大きくなると言われる。小の変革の時代はこれまでの経験が無に帰するので実害はない。だが、大の時代は成功体験が刃となって己に向かってくる。現代は新しい処方箋を組まなければならない時代となっている。

日本は周辺諸国、韓国・中国・ロシアなど領土問題で緊張感が続いているが、アメリカは尖閣を守ってはくれない、日米安保には人が住んでいる領土を守ると書いてある。中国の台頭でアメリカは日本から引き始めた。加来氏の話から、私なりに解釈をすれば歴史を見ればそれぞれの領土とは戦争で奪い取ったものだ、現に今も形を変えた戦争状態になっていると認識すべきなのか?

国の危機管理は当然のこととして国民一人ひとりが自らの命を守る危機管理意識を高めていくことだと思う講演でした。

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