今”地方が熱い


8月24日から26日まで、2泊3日の日程で事務局、議会15名、計16名で岩手県、葛巻町、紫波町の行政視察研修を行いました。出発時は台風15号の接近が心配されたが予報が少し和らげてくれた。11時過ぎ東京駅から東北新幹線、はやぶさ、で盛岡に到着。盛岡駅から名鉄観光、貸し切りバスで小岩井農場見学。

小岩井農場

所在地・岩手県岩手郡雫石町丸谷地36-1。岩手県盛岡市から西北約12kmに位置し岩手山南に約3,000ヘクタール(900万坪)の広大な敷地面積を誇り、その敷地の3分の2は雫石町、残り3分の1は滝沢市に属する。

小岩井農場は1891(明治24)年の開設。共同創始者である小野義眞(日本鉄道副社長)、岩崎彌之助(三菱社社長)、井上勝(鉄道庁長官)の三名の頭⽂字をとって「小岩井」と命名された。開設当時の小岩井農場は不毛の原野。圃場をつくり、植林を行い、施設を整え…その後、基盤整備に数十年を要した。

1899(明治32)年からは、畜産を軸とした経営に移行。海外から輸入した優良種畜をもとに牛・馬等の種畜の生産供給(ブリーダー)事業を開始、酪農事業にも取組み、我が国の乳用種牛の改良と乳業事業の発展に貢献。1938(昭和13)年からは小岩井農牧株式会社を設立、農場はその事業所となる。

基本は「環境保全・持続型・循環型」の運営

牧場

農業政策の転換、経済の国際化等著しい変遷の中でも、小岩井農場は一貫して農林畜産業を基軸とした運営を継続し、不毛の原野は百年を越す歴史の中で生産性の高い緑の大地に変わった。

この心潤す豊かな大地を「環境保全・持続型・循環型」運営により、生産農場として更に維持充実させた。そして、ここを原点として長年培われてきた技術を更に磨き、「安全・安心・素性明らかプラス質の高さ」を全ての基礎に、生み出す商品・サービス・情報などを通して社会に貢献を目指している。

あいにく天気は曇り空、観光客は思い思いに、ゆっくりと寛いでいる様子が。豊かな自然の中で生まれた数々の乳製品、ガイドの話では特にソフトクリームは大人気。創始者の描いていた未来像は21世紀を迎え、益々多くの人々に愛されているようだ。

御所湖シオン像の見学

・場所:岩手県盛岡市繋湯ノ舘121-1 御所湖畔・つなぎ大橋 
・説明:御所ダム完成に伴い整備 彫刻のあるみちのく三大湖の一つ
・設置:1980年 昭和55年

「つなぎ温泉」の「シオンの広場」に立っている美女像「シオン像」です。
「シオン像」は、青森県の十和田湖の「乙女の像」、秋田県の田沢湖の「たつこ像」とともに『みちのく三大湖の彫刻』の1つとされている。

シオン像
湖と岩手山を背景にたたずむシオン像の姿はなかなか絵になりますよ。

御所ダム(ごしょダム)は岩手県盛岡市繋地先、一級河川・北上川水系雫石川に建設されたダム。

国土交通省東北地方整備局が管理する特定多目的ダムで、北上川上流改定改修計画に基づき建設された「北上川五大ダム」で最後に完成したダム。堤高52.5m、型式は重力式コンクリートダムとロックフィルダムが複合したコンバインダム。ダム湖は御所湖(ごしょこ)と呼ばれ、盛岡市の一大観光地となった。

この日は盛岡で宿泊。

25日、10時、葛巻高原牧場に到着

くずまき高原

くずまき交流館プラトーにて研修会。葛巻町議会事務局長、副議長の歓迎を受け町政運営などの説明を受けた。

葛巻町は、面積434,9 K㎡ 世帯数2,851世帯、人口7,020人(平成26年)。化緯40度線上にあって、岩手県化部に位置し、県立自然公園平庭高原や一級河川焉淵川の源泉、柚山高原などを有する豊かな自然に患まれた東化一の酪農鄕である。

基幹産業は酪農と林業。酪農は明治25年(西暦1892年)の乳牛導入以来、先人のたゆまぬ努力によって、現在では、牛の頭数、牛乳生産量とも東北一の酪農郷となっている。林業は森林の持つ機能と調和した整備を進め、造林、伐採から木材の流通、加工まで、地場産材を利用した地域林業の確立を推進。

さらに、町の資源を有効活用し、生産、製造、サービスを担当する4つの第三セクターを組み合わせた総合産業による地域活性化を進めている。

研修

特産品である葛巻牛乳と、その加工品、そして山ぶどうを原料としたワインは、町内外での評価は高い。


近年は太陽光発電、風力発電、畜ふんバイ才マスガス化発電、木質バイオマスガス化発電などの新エネルギー導入にも積極的に取リ組んでおリ、「化緯40度ミルクとワインとクリーンエネルギーのまち」というキャッチフレーズのもと、活力ある町づくリをめざす。

風力発電・高原に吹く風をエネルキ一に変える15基の風車

総出力22,200kw 一般家庭が使う消費電力の16,000軒分!

葛巻町では現在、2箇所の牧場で、合計15基の風力発電機が稼働している。両地点ともに1,000m超の山間高冷地で稼働しており、これは、国内はもとより世界でも珍しいことだ。この1,000m超の山間高冷地での風力発電の施エ•運転を可能にしたのが、昭和5•年代に行われた大規模牧場開発事業「北上山系開発事業」と言われている。

酪農の基盤強化を目的としたこの事業により、町内の1,000m超の3地点約1,10Ohaが牧草地に生まれ変わり、それらを結ぶ総延長75kmの大規模林道、更に、牧場を監視する監視舎に送電線が引かれた。

山岳部での風力発電を可能にするためのインフラが牧場開発により既に整備されていた。

自然環境との共生

現在、これらの風力発電所は、町のシンボルとなり、町民への新エネルギーの普及啓発や観光客誘致に大きな貢献を果たし、町の誇りとなっている。

発電

太陽光発電

太陽のエネルギーを暮らしに活かす。総出力656kw

環境教育、葛巻中学校に設置されている太陽光発電設備は、校舎の新築に合わせて建設され、現在、校舎で使用する電力の1/4程を賄っている。また、小中学校に通ラ児童•生徒や地域住民に対して、地球環境保全と新エネルギーの普及啓発にも役立っている。

省エネルギー町内の公共施設等に設置されている太陽光発電設備は、当該施設の電力の一部として利用されている。また、太陽光発電設備の導入と一緒に、照明器具も消費電力の少ないLED照明に交換する等、施設内の省エネルギー化が図られています。

非常用電源葛巻町では、平成22年末の雪害や東曰本大震災における長期的な停電を教訓に、町内の防災拠点及び避難所である交流拠点及び小中学校、コミュニテイ一センター等に、非常用電源としての太陽光発電設備を導入している。また、蓄電池も導入し、有事の際の無停電化を図り、再生可能エネルギーによる町民の安全•安心の確保につなげている。

バイオガス

畜ふんバイオマスシステム

バイオマス

乳牛に優10,00•頭を誇る「東北一の酪農郷」である葛卷町では、曰量400t以上もの家畜排泄物が発生している。この家畜排泄物の適正な管理と畜産活動から発生する温室効果ガス「メタン」の抑制を目的として、くずまき高原牧場内に「畜ふんバイオマスシステム」を導入している。

このシステムにより、エネルギー(電気•熱)と良質な肥料を生産し、理想的な循環サイクルが完成。

事業名 / 生産振興総合対策事業(耕蓄連携•資源循環総合対策事業)
稼働年H平成15年
出力, / 電気37kW、熱43,000kcal

システム仕様

・処理原料・13t/日(200頭相当分)・生ごみ 1t / 日

◯メタンガス発生量  300Nm3/日
◯メタン発酵槽    330m3
◯ガスホルダー    100m3
◯消化液貯留槽    1335m3 (150日分)
◯発酵温度      37で(中温発酵)
◯エネルギー利用設備 デュアルフュエルエンジン式
◯脱硫方式      メタン発酵槽内への微量空気注入による生物酸化脱硫方式
◯浄化方式      膜分離活性汚泥法

「木質バイオマスガス化発電設備」

•事業名ゾノベイオマス等未活用エネルギー実証試験事業拳テ一マ/森林の間伐施業に伴う木質バイオマスのガス化熱電併給システム.

事業主体・月島機械(株)(独)新エネルギー産業技術総合開発機構
•実証試験 / 平成16年度〜平成20年度
•出力/電気120kW、熱回収266kW

町の面積434.99kn1の86%が森林である葛卷町では、年間8.500rrfもの間伐材が発生している。しかし、そのうち利用されているのは2割強しかなく、8割の間伐材は山林に放置されているのが状況。この間伐材の有効利用を目的として、ガス化発電による熱電併給システムの実証試験が葛巻町をフィールドに行われた。

このシステムは間伐材を原料とし、熱と電気を有効利用できるため、地球溫暖化防止への貢献はもちろんのこと、森林の適正な管理を行うことで低迷が叫ばれて久しい林業の新しいビジネスモデルの構築が可能であると考えられている、現在コスト高などの課題があり休止状態。

•民間企業によるバークペレツ卜製造

・製造会社 / 葛巻林業(株)
・製造開始年/昭和56年
・製造量 / 約1,600t / 年
・その他 / チップ製造の際に不要となるバークを利用

•ペレツ卜ス卜ーブ•ポイラ一の導入

ボイラー

◯いわて型ペレットストーブリース事業
事業主体 / 葛巻町森林組合リース台数 / 7台(公共施設)
◯・ふるさとづくり基金(新エネルギー導入に関する事業)
導入設備 / ペレッ卜ストーブ6台(小中学校へ)
活用額 / 160万円

・ペレッ卜ボイラー
•モデル木造施設森の館ウッディZ25万kcal
•介護老人保健施設アットホームくずまき/ 100万kcal(50万kcalx2基)
•エコ•パーク平庭高原森のこだま館 / 8.6万kcal(4.3万kcalx2基)
•小規模多機能型居宅介護支援施設マイホームくずまき/ 10万kcal

森林保全
くずまき高原環境の森づくり事業企業の森事業概要 / 民間資本による森林整備
参加企業 / (株靡島建設【5.91ha】
小岩金網(株)[266.89ha](株)シェルター【1.90ha】
(株)永和【5.56ha】薬樹(株)【9.57ha】

ふるさとづくり基金(森林の保全と資源循環に関する事業)
事業内容 / カラマツの再造林46ha(11万本)活用額 / 480万円

各種林業体験の実施

•葛卷町植樹祭
•薪•巻•枚-卜リプル薪フェスタ-

くずまき型モデルエコ住宅

エコ

「ゼロエネルギー住宅」

◯事業名 / 異分野新連系事業
・参加企業 / (株)アトム環境工学、(株)藤島建設・葛卷町森林組合
◯設置年/平成19年度・住宅概要/木造2階建て、延べ床面積94.39rri(28.6坪)
◯設備概要 / 地中熱ヒー卜ポンプ(9.5kW) ②太陽光発電(3.36kW)
③太陽熱温水器(2.87irf)
•エコ•エネ総合対策各種事業費補助金制度がある。

エネルギー自給のまちづくり

葛巻町では様々な再生可能エネルギー政策を行ってきた結果、食料とエネルギーの生産が熱量換算で町内の需要を上回るという全国にも例を見ない「食料とエネルギー自給のまち」となっている。

広大な自然に恵まれた資源を最大限活用した、エネルギーの自給自足を目指した取り組みは、まさに、21世紀、エネルギー政策の模範とした成果に世界が注目。全国からの視察も殺到。

現在のところ民間業者によって得られた電力は東北電力へ売電されており直接町の住民には還元されたことになっていないが、年間45万人の観光客や視察などによって何もなかった町が活性化してきた、むしろその効果が大きいと話す。

わが地域にも、自然がもたらす無限の資源を今一度再確認し最大限活用できるよう知恵を出し行動することが地方の生き残りをかけた戦いになることは間違いない。

葛巻町を離れて花巻市、宮沢賢治記念館見学

記念館

自筆の原稿や遺品を目にし、人と動物や植物、風や雲や光、星や太陽といった森羅万象が語りあったり、交感しあったりする。このような森羅万象の関わりあいの自在さに、賢治の物語の大きな特色がある。これらがデタラメなこととしてではなく、生き生きとしたリアリティをもって語られている。

地質学者としての訓練を受けた賢治はフィールドワークの人であり、彼のファンタジーの出発点も、野外を歩き回っている時に実際におきた心の中の出来事におかれている。そのために、リアリティをおびた生き生きとした語り方が可能だったのだろうか。

野外を散策しながら、鉱物や植物について細かく観察し、気象の変化を敏感に感じとるだけでなく、それらに促されて自分の心の中から湧いてくるさまざまな感情や想念とその交錯を観察し、記録するという方法をつくりだしていった。偉大な人物も37歳の若さでこの世を去っている。

有意義な2日目の研修日程は終了し宿泊先のホテル千秋閣へ向かった。

いよいよ最終日の研修は紫波町へ

26日・9時.30分 オガールベースに到着、紫波中央駅前に木目を基調とした洋風建築の建物がずらり、入庁予定の3階建て庁舎も。

紫波町庁舎

岩手県のほぼ中央。県都盛岡市から南に約17km、電車で約20分に位置し、奥羽山脈と北上高地に挟まれた区域で面積は239km2。東西.28km、南北13kmで東西に細長く、中央は北上川が貫流し、広々とした平地が広がっている。

人口は33,965人、世帯数は11,175世帯。人口減少下にあって、県内では数少ない微減の町になっている。少子高齢は例外ではなく、高齢者世帯の割合は16%を超えている。また、盛岡広域圏内では昼間人口割合が最も低く、約85%となっている。

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施設内一室で研修始まる。議会議長から、町の紹介、中央駅前都市整備事業の経緯など挨拶のあと、担当職員からプロジェクトの推進状況などについてパワーポイントを使い詳細な説明を受けた。

10年以上塩漬けの土地が動き出した

岡崎氏は紫波町の出身で39歳。東京の大学を出て、現在の都市再生機構を経て国土交通省に勤務した。その後2002年、家業を継ぐべく満29歳で故郷に戻った。

実家の建設会社は亡父がおこした新興企業だったうえ、公共工事も減っていたため、なかなか仕事が取れない。

なぜかとよくよく考えてみたら、事業者は受注産業、いわば仕事が先にあって受注がある。それなら仕事を作り出せばいい。そこで思いついたのが、PPPだった、岡崎氏は06年の秋から東洋大学大学院の公民連携専攻(PPPスク一ル)に入学し、根本祐ニ教授のもとでPPPを学んでいた。

一方、紫波町は紫波中央駅前の34ヘクタールの土地を購入し、岩手県住宅供給公社に譲渡して造成工事を行い、うち10.7ヘクタールを1998年に28億5000万円で買い戻したものの、町の財政状態も厳しくなったため、10年以上も塩漬けの状態になっていた。

公民連携

紫波町では町の職員も1名、公民連携専攻に送り込んだ。06年12月には、岡崎氏が仲介して根本教授を紫波町に招き、役所向けにPPPについての講演を行ってもらう。これがプロジェクトの始まりとなった。

07年には東洋大学と紫波町がPPPに関する包括協定を結び、東洋大学が公民連携の可能性について、現地調査を行う。そこで次のような結果が出た。

当初、紫波町は人口も少ない、大学の調査では北には商業の中心地である盛岡があり、南には製造業が集積する花卷•北上がある。紫波町はそのほぼ真ん中に位置していて、約60万人の商圏が見込める。脈ありと判断した。

紫波町は09年2月に「紫波町公民連携基本計画」を策定し、プロジェクトが本格的に動き出すことになる。その際、紫波町は東洋大学のアドバイスにそって、紫波町の代理人の役目を果たすオガール紫波株式会社を設立。岡崎氏が取締役に就任した。藤原町長は、プロジェクトの推進に際して、岡崎氏に大幅な権限を与えたのである。

消费目的だけではない人を集める

第1号はサッカー壜開発、オガール紫波の役割は、紫波町の意向を反映しながら、プロジェクトを遂行すること。事業計画を立案し、民間企業と交渉し、テナント集めもする。役場自体ではなく別組織にしたのは、公が上、民が下といった既成概念や制約にとらわれず、より自由に動くためだ。

道の駅

地域開発成功のカギは、突き詰めればニつある。一つが消費目的だけではない人が集まる場所を創造することであり、二つ目が土地を有効に活用できるファイナンス(資金調達)の仕組みの構築である。

具体的な仕掛けの第1号が、岡崎氏が岩手県サッカー協会を巻き込んで建設した岩手県フットボールセンター。オープンは大震災翌月の11年4月。被災地の子どもたちも招待した。

同フットボールセンターは、曰本サッカー協会から補助金、紫波町からの交付金、岩手県サッカー協会やサッカー協会会員の負担によって建設された。ドイツから人工芝も導入し、日本サッカー協会公認グラウンドとなっている。クラブハウスに岩手県サッカー協会の事務局が入っている。

第2弾が冒頭のオガールプラザの建設。プラザの延べ面積は5800平方メ一卜ル、工事費は約11億円だ。このプラザ建設に当たっては、オガール-デザイン会議を設け、そこに岡崎氏を支える5人の民間人が集まった。

まず、プロジェクト全体のアドバイスをするのが清水義次氏。清水氏は建築都市•地域再生プロデューサ-として、幅広く活躍している。彼が掲げたコンセプトは、敷地に価値なし、エリアに価値あり。

岡崎氏は、オガールだけで価値を上げようとすると、必ずつまずく。みんなにプロジェクトの全体が見えるように透明性を高くして、たくさんの人を巻き込めと、アドバイスを受けたという。

その一例が、プラザ西棟に設けられ産直(紫波マルシェ)である。ここは紫波町の農家が自ら農畜産物を持ちこみ、直接販売できる市場だ。紫波町は食糧自給率が170%もある。だから、農家が農産物を売ることによって、売上をあげれば、結果的に、町に対する経済効果も上がる。

証券化の手法で資金を調達

こちらはロータス•パートナーズの山ロ正洋氏がサポートしている。山ロ氏は米有名投資銀行出身のファイナンスのプロで、アルファブロガ一としても有名だ。

08年、岡崎氏が田丸氏に頼み込んで、山ロ氏を紹介してもらう。岡崎氏がオガールプロジェクトの話を切り出したところ、意気に感じた山ロ氏が「オレが」とアドバイザー役を買って出た。

図書館

山ロ氏が提案した資金調達のスキームは証券化。リーマンショックのサブプライムローン問題で評判を落とした証券化だが、使い方を間違わなければ、多くのメリットがある。オガールプラザの場合、オガールプラザ株式会社というSPC•(特別目的会社)を設立。

ここがオガールプラザの建物を建設、所有し、運営する。オガールプラザは、東棟と西棟が賃貸部分で、その間に紫波町情報交流館(図書館、地域交流センター)がある。建物完成後に、交流館部分は紫波町に売却する。

資金調達の仕組みはこうだ。紫波町への売却代金が8.4億円、残る3億円のうち、政府系の民都機構、紫波町、オガール紫波で1.5億円を資本金として出資する。さらに残る1.5憶円の大部分は東北銀行からの融資で賄った。

こうして11億円の資金を調達した、紫波町の8.4億円のうち、3億円は岡崎氏が紫波町と国交省の仲介役となり、補助金として引っ張ってきた。

証券化の最大の特徴は、親会社や自治体と事業が切り離され、その事業が生み出すキャッシュフロ一(オガールプラザの場合は、同社の資産であるブラザが生むテナント収入)だけで、返済や配当が行われることにある。

もし、オガ一ルプラザにテナントが集まらず、事業に失敗しても、紫玻町に損失は及ばない。それだけに、貸し手である民間銀行は事業をシビアに見るということだ。ここに事業計画が甘く無駄が多いと批判される公共事業との違いがある。

テナントを集めてから上ものを発注

岡崎氏自身も、国交省勤務時代に不動産開発が失敗する原因を調べた経験がある。
失敗しないように、テナント集めには工夫を凝らした。清水氏とともに考え、企業立地研究会を立ち上げて、オガールプロジェクト開発の構想を広くアナウンスした。

興味を示した企業は約40社。テナントが入る確証を得てから、それに合わせて建物を発注するという、通常とは逆の手順を踏んだのだ。プラザオープン時点で、民間テナントは9件、入居率は100%.

銀行にも入居申し込みや契約書を持って借入交渉に臨んだ。オガールブラザのキャッシュフローの裏付けが見えるのだから、借入交渉もスムーズに進んだという。

三つ目が建物の設計

オガールベース

オガールプラザの設計を担当したのは建築家の松永安光氏。いかに話題性のある建築物でも、建設後は維持費ばかりがかかり、おカネを生まない建築物はお墓と同じ、というオガール紫波の考えを理解したうえで、採用したのは木造でかつ在来工法だった。

オガールプラザは98%地元の木材が使われている。柱は杉で、梁はカラマツである。在来工法だから地元の大工さんも工事に参加できた。結果、木造は高いという常識と違い、コンクリート構造よりもコストは安くあがったという。

プロジェクトを率いる岡崎氏の建設会社は、プラザ建設には下請けはおろか、一切かかわっていない。

100回以上も開かれた住民脱明会

一方、藤原町長もオガールプロジェクトを全力で支えてきた。開発が進むオガールは、紫波中央駅を挟んで駅の西側に当たり、現在、町役場のある旧市街地は東側になる。町役場もオガール地区に移る予定だ。

町の中心が移動するのだから、旧市街地の住民は心穏やかなはずがない。大学側から藤原町長に対するアドバイスは、行政が一つ一つの地域に出向き、100回でも200回でも説明を行う、その際、住民の話を聞くだけではなく、行政の思いも伝えよ、ということだった。

そして藤原町長と紫波町は、実際にオガールプロジェクトとPPPとは何かについて、100回以上の住民説明会を開催したのである。住民の理解が得られたのは、住民説明会のおかげばかりではない。町政に対する住民参加の試みがずっと続いていることも、その背景にある。

紫波町は07年に「紫波町市民参加条例」を制定した。これは条例を制定するに際に、町が骨子をつくり、住民が參加した市民会議を開いて、意見や提案を聞き、それをまとめて議会に答申を行い、最終的に議会で条例が制定されるという仕組みである。町なのに市民とはこれいかにと言えば、町外から紫波町に働きに来ている人も参加条例の対象にしているからだという。

何もなかったところに年間80万人

バレー

オガールベースでは、日本初のバレーボール専用コートに特化した施設。特化することで全国から実業団、学校などバレーボール選手が集まる。木材を主に使用し建物自体は低コストしかし、床は特別仕様だ。

職員の説明から、一人の青年から始まったプロジェクト、それに賛同した大学、住民や専門職のスタッフによって、何もなかったところに年間80万人が訪れる町に変貌した。もちろん議会も真剣に取り組んだことが伝わってきた。

町のトップである町長の活躍も素晴らしい、100回以上の必死の訴えに住民の心が一体となったことが成功のカギになったことは間違いない。地方創生が重要課題であることは誰もが認識していることだが、どこまで真剣に取り組むかが問われている。

今回の視察研修で、葛巻町も紫波町も、他のそれぞれの町も、わが町の課題について、行政も議会も住民も真剣に取り組んでいることが感じられた素晴らしい内容であった。対応してくれた両町の関係者の方々に感謝し、今後の議会活動に取り組んでいきたい。

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